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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「匂宮(におうのみや)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。『仏説善悪因果経絵抄』(全七巻五冊揃)享保17年 天王寺屋市郎兵衛版 江戸時代和本 仏教書 仏書 絵入本 仏教美術。
原文は「源氏物語・匂宮の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。●極上和本YM3172●〈玉置〉初学消息集(題簽中央)玉置茂八 享保14年 稀書往来物。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。南部立庵(南部草寿)『倭忠経』(全二冊揃)寛文7年 武村新兵衛刊 江戸時代和本 大和忠経。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。大樹公御上洛并諸説録。現在の今上天皇と系譜がつながっている。ケンブリッジ旧約聖書注解 既刊14冊揃い 大野恵正他訳。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。子規全集 全25冊 正岡子規。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 長時 古文書。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 経済学原理 第2編 下 (1982年) (初期イギリス経済学古典選集 11 )。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。●極上和本YM4227●近江八景(近江八景〈并序〉)長谷川妙躰書 享保18年 女筆手本 稀書往来物 原装題簽付。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。三体詩(唐賢)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。R-074865 斉白石 印譜(中国、唐本、古書、古本、書道具、和本)(R-074865)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。天野節次郎編『大連旅順金州名勝風景写真帖』大正2年 天野満書堂刊(大連市)大正時代の中国大陸写真集。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。一封亭朶雲他「浪華狂歌集」(仮題)寛政9年序刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 狂歌集 狂歌絵本。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。フレミング原著 箕作麟祥訳『泰西自然神教』(二冊=巻一,巻二)明治7年 文部省刊 明治時代和本。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。柳菴雑筆。また、各巻ごとの書かれた年については不明。(古本)参謀本部 大本営陸軍部 臨参命・臨命・大陸命・大陸指総集成2 昭和12年 森松俊夫 函付き モリティ出版 MO8005 19941031発行。従って、応永五年とは、書き始めの年である。●極上和本YM3183●風月往来抄[〈独講釈読方入〉風月往来](3種)明暦4年 『風月往来』の注釈書の嚆矢 山岡元隣注 稀書 他に所蔵無し。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。●極上和本YM3362●女小学教艸(宝暦13年)北尾雪坑斎画 往来物 美本。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。◆古書・古文書・和書◆『春秋命歴序攷 全2巻』天保4年◆。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。東条琴台編『聖世紹胤録』(全二巻二冊揃)明治3年 青松軒刊 明治時代和本 歴代天皇系図集 天皇家資料 皇統資料 神道資料。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。錦城百律。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。世の中百首。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。『マチネ・ポエティク詩集』限定750部 昭和23年 真善美社刊 福永武彦、加藤周一、中村眞一郎、窪田啓作、原條あき子らの詩篇を集成。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。長谷川伸旧蔵書 井上政共編『近江商人』明治23年 松桂堂蔵版/西川勝助刊(滋賀県)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。一休可笑記。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。譯文筌蹄(やくぶんせんてい)初編1〜6 一括。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。女用文章宝かがみ。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。十返舎一九肉筆紙片 【吉原】。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。改正人国記 (日本各国風土図説)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 電発30年史 (1984年)。
出品した「源氏物語」は匂宮(におうのみや)の内容の要旨
「匂宮の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。西脇済三郎『停雲録』昭和30年刊 石坂篤保・竹村顕斎・星野庄三郎・木島孝蔵・小林鶴蔵らの略伝集 新潟県小千谷市郷土史料。第42帖。五穀無盡蔵。光源氏なき後の子孫とその縁者の後日談を書く。【中古】 映画史 (1961年) (日本現代史大系)。巻名は本文の「世人は匂ふ兵部卿、薫る中将と聞きにくく言ひつづけて」に因む。●極上和本YM3198●女読書日用文筧[女手ならひ教訓の書・女手習状]川当節叟作 明和7年頃刊 千種屋新右衛門板 美本・稀書(他に所蔵無し)。本来の題は「匂兵部卿(におうひょうぶきょう)」で、「匂宮」は略称。スタンダール全集 新装版 全12冊 桑原武夫他訳。匂宮は元服して兵部卿となり、紫の上の二条院を里邸としている。●極上和本YM4256●〈女教文章〉女要筆玉藻*「女要文通筆海子」改題本 長谷川品 梅月堂序 明和7年 女筆手本 稀書往来物。夕霧は匂宮を婿にと望みもするが、自由な恋愛を好む当人にはその気がない。英雄百人一首。その夕霧は、落葉の宮を六条院の冬の町に迎え、三条殿に住まう雲居の雁のもとと一日交代に月に十五日ずつ律儀に通っている。和刻 漢籍医書集成 全16輯34冊 北里研究所附属東洋医学総合研究所編。六条院は、今は明石の中宮の子たちの大半が住んでいる。大坂状絵抄。夏の町に住んでいた花散里は二条院の東の院へ、女三宮は三条宮へそれぞれ移っている。●極上和本YM3228●土佐日記創見 香川景樹 頼山陽序 天保5年秋初刊 明治初年後印 紀行注釈。一方薫は、冷泉院と秋好中宮に殊更に可愛がられ育てられ、元服後は官位の昇進もめざましい。【中古】 エキサイティング女優ー脱いでよかった! 「激撮」これは 演技 か 真実 か!! (1983年)。しかし、漠然ながら自分の出生に疑念を感じていた薫は、人生を味気なく思い、悶々と出家の志を抱え過ごしていた。軍事資料★「日本選兵史」昭和18年11月 陸軍軍医 飯島茂 徴兵制 現行選兵諸法規 開発社。不思議なことに、薫の体には生まれつき仏の身にあるといわれる芳香が備わっていた。葛飾北樹『花鳥山水北樹画譜 全』天保年間頃 丁子屋平兵衛版 葛飾北斎に学んだ浮世絵師の彩色木版画譜 江戸時代和本。匂宮は対抗心から薫物(たきもの)に心を砕き、このため二人は世間から「匂ふ兵部卿、薫る中将」と呼ばれる。神事行燈 初~五編。薫20歳の正月、夕霧は六条院で賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)を催した。おしえのつえ。匂宮はもちろん、薫も出席し、華やかな宴となる。(古本)大本営陸軍部 大陸命・大陸指総集成5 昭和15年 森松俊夫 函付き モリティ出版 MO8008 19941031発行。
「匂宮(におうのみや)」自筆原本の上部には、原本自筆上部に匂宮(におうのみや)」には、「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という漢文の篆書印が押捺されている。小学生の弔辞 大東亜戦争(太平洋戦争)昭和十七年 佐倉町佐倉第一国民学校(佐倉市立佐倉小学校) 軍国主義(【24-0412-88】。言葉の意味は、「帰りゆく春を留めることはできない。清幽斎主人『武具短歌 被甲便蒙』嘉永3年 万屋忠蔵他刊 江戸時代和本 武具甲冑の纏い方を挿絵入りで紹介した畳物一舗 鎧兜 往来物。紫の藤の花のもと、次第に深まるたそがれ」である。伊藤博文伝 明治百年史叢書 全3冊 春畝公追頌会編。「匂宮」の巻の原文には「春の花の盛りには、けに長からぬにしも、おほえまさるものとならん」と記されております。江戸町づくし。解読すると「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされるというものである」となる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 犬甘 書状 古文書。源氏の君をとりまく人々、特に六条院の紫の上の面影をおりにつけ思いだしている。●極上和本YM3334●男用文章大成 稀書往来物 他に所蔵無し。特に源氏の君と女三の宮の子・薫の君は紫の上の面影をいつも心の底に刻みこまれている。●極上和本YM4725●六諭衍義大意(藤原正縄板・安政板)室直清作 橈川華子書 内藤正縄題字 伏見板 稀書往来物。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。●極上和本YM3185●〈御家〉改撰消息往来(題簽付)往来物 川関惟充 橘正敬書 稀書往来物 異種消息往来。特に紫の藤の花を篆書の中に入れているのは、白楽天の詩文をよく読みこんでいることがわかる。中島広足『瓊浦集』(全二冊揃)天保11年序 秋田屋太右衛門他刊 江戸時代和本 長崎に住んだ国学者が編んだ和歌集 熊本藩士。紫式部が「匂宮」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。きやりづくし。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【希少】「征露従軍日誌」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
「匂宮」の巻は英文で「His Perfumed Highness」と表記されます。(古本)会津戊辰戦争 平石辨蔵 兵林館 HE8002 19170501発行。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。理慶尼の記。)
「自筆原本」
自筆右下2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。古文書『但馬国出石騒動一件』天保8年(1837年)5月の写本 江戸時代三大御家騒動「仙石騒動」の顛末 全文の釈文付き 貴重!。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。ふくむらけん(福村健)『草木譜』1956年 私家版 京都の型染作家・福村健のオリジナル型染作品集。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。山田案山子遺稿 翠松園主人校補 尾形月耕画『義太夫丸本 生写朝顔日記』明治17年 春陽堂刊 明治時代ボール表紙本 生写朝顔話。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。長谷川伸旧蔵書 今宮町編『今宮町志』大正15年 大阪府西成郡今宮町刊。
《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏》という篆書印が押捺されている。明清版画 西湖十景 限定9000部 1979年 線装本 検索⇒唐本漢籍 支那 玉扣 善本 木版画 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 朱印譜。言葉の意味は「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。明治期 設計 デザイン本 難類彌家多 奈留美加多 検索:南流微鳩た 鳴海賀太 建築 彫刻 小田切春江 図版 唐草紋様 木版瓦版 型紙 藍染 絞染。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。●極上和本YM4729●世界郡都往来〈欧洲仏国之部〉(A)小林謙吉訳 長谷川実信画 横尾謙七序 明治6年 稀書往来物。》
《こと(事)にふ(触)れ》・・・・ても、人のありさま(有様)を
聞き見奉るに、けにいとなへてならす、心にくゝゆえしき
御もてなしかき(限)りなきを、おな(同)しくは、けに
かやうならむ人をみ(見)んにこそ、い(生)けるかき(限)りの
心ゆくへきつまなれ、と思ひなから、大かたこそへた(隔)つる
事なくおほ(思)したれ、姫宮の御かた(方)さまのへた(隔)ては、
こよなくけ(気)とお(遠)くな(慣)らはさせたま(給)ふも、
ことわりにわつらはしけれは、あなかちにもまし(交)らひ
よ(寄)らす、もし心より外の心もつかは、我も人もいとあしかるへき
こと(事)、ゝ思ひし(知)りて、ものなれよ(寄)ることもなかりけり。布教 出家発心御文法話 香雲印澄玄説 明治32 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗臨済宗 戦前OT。
わ(我)かかく人にめ(愛)てられんと、・・・・・《なり給へる》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。真宗礼讃偈 明治25年 仏教 浄土真宗 親鸞 戦前明治大正古書和書古本 NA。
《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
《薫の君の御元服・右近中将に昇進》
《冷泉帝と秋好中宮・薫の君を大切にし急ぎ昇進させる》
《十九歳の薫の君・実父を柏木と知り悲哀と鑑賞にひたる》
《匂う中将(今上帝の皇子・匂宮、薫る中将と並び称される》
《十九歳の薫の君・帝(今上天皇)や后(秋好中宮)に大切にされる》
《中将(薫の君)は、三の宮(今上天皇の皇子・匂宮)が
年のたつにつれていよいよご執心でいらっしゃるらしい冷泉院の
姫宮(前冷泉天皇・冷泉院の女一の宮)の御あたりを見るにつけても、
同じ院の内で明け暮れお出入りしていらっしゃる
ので、》・・・・何かの折に、そのご様子をお聞きしたり拝見したりすると、
(薫の君)「噂どおりほんとに並み一とおりでなく奥ゆかしく、
よくおできになっていらっしゃる御物腰は申しぶんがない。稀少★日蓮聖人奉賛会発行 日蓮聖人全影 定価25万円 限定1000部 (管理90319674)。
同じことなら、いかにもこのような方と連れ添うのが、
生涯楽しく暮らしてゆくことのできる頼りとなるのだろう」
とは思いながらも、そのほかのたいていのことは分け隔て
あそばすことなくかわいがってくださるものの、
姫宮(前冷泉天皇・冷泉院の女一の宮)の御方との隔てだけは
常にこのうえもなく遠ざけていらっしゃる、それももっともな
ことだし、またやっかいな気もするので、無理におつきあいを
求めて近づこうともしないでいる。弁斥医断。
もし、予想もしなかったような気持が起こってきたなら、
こちらにとってもあちらにとってもまったく不都合な結果になるだろう、
そのことがよくわかっているので、世なれたふうに近づくこともないのであった。●極上和本YM4726●六諭衍義大意(藤原正縄板・万延板A)室直清作 橈川華子書 内藤正縄題字 伏見板 稀書往来物。
中将(薫の君)ご自身が、こうして人に
もてはやされるために・・・・・《生まれてこられたような人柄なので、
ちょっとしたかりそめの言葉をおかけになった女も、
まったく相手にしないというような気持ではいられなくて
すぐさまなびいてくるというふうだから、しぜんに、
その時々の通り一遍の通い所も数多くなる。民間経済録二篇。》
備考・「源氏の君」は、准太上天皇であったため、薫の君は、源氏の君の子として皇子(みこ)と同じ扱いになる。山本北山『孝経楼漫筆』(全四巻四冊揃)嘉永三年 須原屋伊八刊 江戸時代和本 随筆集 絵入本。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。江戸時代 長雄改春帖 寛政3年 1791年 / 寛政三年辛亥春三月上浣 長雄東雲 大和田安右衛門。
《His Perfumed Highness(匂宮)》
All of it suggested that she was a very unusual lady,
indeed a lady in whom, were he interested in marriage himself,
he might find the most fascinating possibilities.
In all else completely open and unreserved,
the Reizei emperor chose to surround his daughter
with stern barriers.
Kaoru thought this not at all unreasonable of him,
and made no effort to force his way through.
He was a very prudent young man who did not choose
to risk unpleasantness for himself or for a lady.
Because he was so universally admired,
ladies were not on the whole disposed to ignore his notes.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward e Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《匂皇子(匂宮)》
他想:“欲娶妻,但得如此一人做伴,可以身无憾了。まちづくし(江戸町独案内)。”
冷泉院薰中将,在一般事情上,他毫无隔。倉田藍江(倉田恭英)編 落合芳幾画 安達吟光彩色木版画『近世烈婦伝』(3冊)明治13-14年 愛善社刊 明治時代和本(和装活字本)。
惟有大公主的居,防范非常。絵本忠経。原是理之当然。●極上和本YM4218●六百番歌合[左大将家百首歌合]承応元年初板本 藤原良経等詠 藤原俊成判 原装題簽付 美本 ★ゆうパック。
薰中将深恐惹事,并不求近。卍空纂述 森田易信画『善光寺如来絵詞伝』(全六巻六冊揃)弘化四年序 東叡山蔵版/和泉屋庄次郎製本 江戸時代和本 仏教書 仏書 信州善光寺。他想:
“万一生了意外之事,己人都很不利。朱文童蒙須知 朱熹 元禄16年 教育学教本 儒学儒教朱子学 漢文漢書漢籍 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NZ。”
因此并不去近。山本貫通編 カーネル・オルコット 佐久間信恭訳『雄氏演説筆記』明治22年刊 石版画入 札幌農学校 内村鑑三 ラフカディオ・ハーン 夏目漱石。只是他生来相貌人喜,
所以他一个女子只要略有几句言,
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」匂宮の巻の末尾(原本番号15-A)の押印。●極上和本YM4698●かねもうかる(の)伝受(2種)脇坂義堂作 下河辺拾水画 石門心学。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。(古本)郷土部隊戦記 全3冊組 福島民友新聞社 函付き 福島民友新聞社 HK8207 19650725発行。冬姫は内大臣・通誠の養女。小川政亮著作集 全8冊 小川政亮著作集編集委員会。
冬姫は通称。中井竹山『校正草茅危言』(全五巻一〇冊揃)寛政元年序刊 江戸時代和本 近世木活字本 大老松平定信に献上された政治意見書。正式な名は伊達貞子。平義器談。
左上の篆書体は、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。平安餘英 印譜 平安印集第十八 戌申(1968年)九月 清風院釋湖城 園田辰夫 集古 サイズ約13.7x20.3x0.6cm 骨董 古美術 ③。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。発徴録。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。松原寛著 船川未乾装丁『現代人の芸術』大正10年 民衆文化協会出版部刊 日本大学芸術学部初代芸術科長 美学者 美学論 日藝。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。●極上和本YM4679●〈教訓心法〉極楽住居[浪華樹下翁教訓心法極楽住居](初-2編)樹下宇右衛門 樹下恂 石門心学。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(匂宮の巻)MRI 42―11B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、囲碁をする今上帝(今上天皇)と薫の君。俳諧通俗志。右端の上が今上帝(今上天皇)、右下が薫の君。★H503和本江戸嘉永4年(1851)写本「越俎録」全1冊/清水存軒/古書古文書/手書き/尊皇攘夷/黒船来航。左は天皇お付の女房たち
上記絵巻は、囲碁を楽しむ今上天皇と薫の君。松井羅洲(松井輝星)『它山石初編』(全四巻四冊揃)弘化2年 銭屋惣四郎他刊 江戸時代和本 儒学者・易学者 中国・日本の故事考証随筆集。
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。西川満『華麗島頌歌』限定500部(公女版)昭和15年 日孝山房刊(台湾台北市)立石鉄臣木版画3枚入。
《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。手漉和紙精髄 和紙揃い ふるさとと歴史/久米康生/限定1500部/定価50000円/写真手漉和紙のふるさと・標本手漉和紙・紙郷 送料無料。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。須田功遺稿集 長谷川伸・平山蘆江・野村無名庵・島田正吾序『のこされし夢』昭和9年 須田栄刊 戦前期の天才漫画家。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 梵我一如への方法論 知識の道 (1975年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。佐渡丸遭難記念誌/貝瀬謹吾/非売品/昭和4年/明治37年野戰鐵道の一員として出征の玄海灘で敵艦の襲撃に会い萬死に一生を得て大連に上陸。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。写本『兼好法師家集』(全二巻一冊揃)文久元年 清利写 江戸時代和本(写本)卜部兼好歌集。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。●極上和本YM3367●女式目(万治3年*「女式目」2巻揃)最登波留 野田弥兵衛 稀書往来物 仮名草子 教訓 題簽付 状態良好。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。慧舟『御文讃嘆絵抄 初編』(全二冊揃)享和元年 河南儀兵衛他刊 浄土真宗 仏教書 仏書 江戸時代和本 絵入本。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 韓国の古時調 対訳注解 (1979年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。明治20年代の養徳会活字版合綴 平田篤胤『天朝無窮暦巻之一』他 明治時代和本(和装活字本)やまと叢誌 国学。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。市川米庵『米庵墨談』(正続全六巻揃)文化九年/文政一〇年 須原屋伊八刊 江戸時代和本。撮影後、展示のために再表装をしております。改正地方大成。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。●極上和本YM4740●〈註釈絵入〉実語教童子訓〈小野篁哥字尽〉(天明板B)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。沙門文雄編『磨光韻鏡字庫』(全二巻揃 合本全一冊)天明8年 柏原屋清右衛門刊 江戸時代和本 中国の音韻図「韻鏡」研究書 磨光韻鏡後篇。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 書状 古文書。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。●極上和本YM3209●〈天保再刻〉校正庭訓往来註抄 美本往来物 西川竜章堂 天保6年[大阪]秋田屋太右衛門ほか板。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。唐ちょ遂良墨蹟 珂羅版 原寸大 玻璃版 台北故宮法書 書道法帖 碑帖 碑刻 法書帖 金石篆刻 拓片 拓本 印譜 摩崖石刻 唐本漢籍。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。列仙全伝。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。江戸川乱歩全集 光文社文庫 全30冊 江戸川乱歩。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。岡西惟中『消閑雑記』(全二巻二冊揃)山田茂助刊 江戸時代和本 江戸中期の俳人の随筆集。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。c0411 和本 新刀銘書 全六巻 新刃銘書後集 全六巻 セット 検 刀 刀剣 古書。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。(古本)ビジュアル防衛読本 58年版防衛白書を中心に 防衛庁長官官房広報課 防衛弘済会 BL0108 19831128発行。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。(古本)若松聯隊回想録 若松聯隊記念事業実行委員会 若松聯隊記念事業実行委員会 HK8199 19671208発行。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。魯西亞舩渡来一件 ロシア渡来一見 漂流。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。NHK 日曜美術館 名画への旅 全24冊 高階秀爾他監 木村重信他著。母は後水尾天皇皇女女二宮。近世木活字本 疋田棟隆『近世名臣諌諍録』(全三冊揃)慶應三年 鵜飼氏活版 江戸時代和本 大阪陸軍幼年学校旧蔵書。実母は近衛家女房(瑤林院)。●極上和本YM3324●新用文章[新板用文障・新板用文章]明暦3年系統上巻3種 稀書往来物。幼名は多治丸。飛鳥井雅俊『古今栄雅抄』(全20巻16冊揃) 延宝2年荒川宗長板行 江戸時代和本 飛鳥井雅親「古今和歌集」註釈書 平安和歌文学。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。写本 倹約御定。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 野沢温泉スキー誌 (1976年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。東条義門『玉緒繰分』(全5冊揃)嘉永4年 河内屋茂兵衛他刊 江戸時代和本 本居春庭・藤井高尚・太田全斎らに師事した国学者 日本語文法書。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寿賀多百人一首小倉錦。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。●極上和本YM4211●稼往来[〈異本〉農業往来](3種3冊)臥雲和尚作 稀書往来物。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。千代の地かため 初編 平安 華鳳編輯 寛政元年 書林 伊勢屋庄助★ko2.45。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定